保育について

幼児期における「遊びの重要性」は、”体“、”社会性“、”知覚“のそれぞれの基礎が多種多様な遊びのなかで育つところに大きな意義があります。

< からだをそだてよう >
・体を知る ・鍛える ・基礎体力(敏捷性、柔軟性、瞬発力、平衡性、筋力)を身につける
< 社会性をそだてよう >
・協調性 ・自主性 ・責任感 ・仲間づくり ・役割の理解 ・ルールの理解 ・競争力 ・コミュニケーション力
< 知覚をそだてよう >
・認知、理解力 ・集中力 ・創造力 ・想像力 ・好奇心 ・意欲
保育について

法人の理念

法人の理念
  • 家庭を忘れ、親を除外して児童の問題は解決できない。子を親とともに受容し、家庭に及ぼすことこそ児童愛護である。
  • 児童は1個の人格として厳然たる姿をもつものである。
  • 児童は「国の児童」「社会の児童」である。よって、児童を健全に保育することは社会の義務である。
  • 児童の幸福は家庭を中心に行わなければならない。家庭が団結し親子が離散しないよう家庭生活の改善向上を計ること。

保育目標

  • 家庭的な雰囲気の中で、心も身体も健康な子どもを育てよう
  • やさしい心をもち、友だちと力を合わせることができる子どもを育てよう
  • よいこと悪いことを判断し、物事をしっかりと考えられる子どもを育てよう
保育目標

法人の概要・沿革

本法人は、明治39年神戸で設立されました。
当時は、財団法人 戦役紀念保育会といいました。このさきがけとして、明治37年日露戦争の際、市内名流夫人が、「神戸婦人奉公会」を組織し、出征軍人家族の慰安、授産、救護、保育など慈善事業を行いました。この事業の中で、特筆なのは、乳幼児の保育でした。
婦人奉公会解散に伴い、組織された財団法人には、楠社、八幡(のちに荒田)の2つの保育所が移管されました。初代理事長には、神戸市長 坪野平太郎があたりました。その後、薬仙寺(のちに水笠)、八王子(のちに芦原)、宇治野、西出、吾妻の5か所の保育所が作られ、理事長には、歴代神戸市長がその任にあたりました。神戸市および篤志家たちからの寄贈によって、経営が続けられました。
神戸保育会の長い歴史の中で、特に2人の人物の存在は、忘れてはならないものです。
まず、設立当初本会にかかわった、生江孝之氏です。生江氏は、明治37年、社会福祉事業調査研究のため、アメリカ、イギリスを視察して、神戸に帰国しました。神戸婦人奉公会の幹事として、同会解散後は、財団法人 戦役紀念保育会の理事として、直接経営の任にあたりました。昭和13年理事辞任まで、32年間理事として、その任にあたりました。当時、戦役紀念保育会の保育事業は、全国の保育所の先駆的な役割を果たし、高い評価をうけました。保育内容は、毎朝の着替え、着用していた衣服の洗濯、繕い、消毒、入浴、昼食の給食、早朝からの受け入れ、夜間保育、学童保育、0歳児保育、嘱託医による健康診断など、今日でも特質すべき内容でした。
設立当時の理念として、
・児童は、1個の人格として厳然たる姿を持つものである。
・家庭を忘れて子どもの問題の解決はありえない。児童の幸福は家庭を中心に行わなければならない。
・児童は、「国の児童」「社会の児童」であり、親が生活の必要上外に出て就労するときは、家庭に代わって保育することは社会の義務である。
とあります。時代は、違ってもこの理念は、現在の保育園に受け継がれ、法人の理念となっています。児童虐待、子どもの貧困など今問題となっていることが、当時も問題となっていたのです。
もう一人は、岡崎忠雄氏(元神戸銀行会長、現三井住友銀行、および元同和火災海上保険相談役、現あいおいニッセイ同和損保)です。岡崎氏は、大正12年戦役紀念保育会理事に迎えられました。第二次世界大戦中の昭和17年、保育会が経営の危機に直面し、神戸市がこれまで半官半民の体制で維持された会から手を引くことを決議し、保育所閉鎖となった時、評議員諸氏の要望と保育所の重要性を考え、財政を助け、事業運営の一切を引き受け自ら理事長となりました。その後、岡崎家の人々が理事長を歴任し、本日に至っています。
岡崎忠雄理事長に引き継がれた4保育所のうち、芦原、荒田、楠の3施設は空襲により焼失。戦後は、唯一焼失を免れた水笠保育所(現神戸保育園)で、理事会、賛助委員会が開かれるようになりました。昭和21年、財団法人 戦役紀念保育会を、財団法人 神戸保育会と改名しました。岡崎忠雄理事長は、会のあるたびに夫人同伴で足を運び子どもたちの遊戯を見て、顔をほころばせ、保母たちの労をねぎらいました。また毎年12月23日の(当時)皇太子殿下の誕生日を祝し、子どもたちがお土産にもちかえるようにと多くの果物を届けられました。これは、昭和40年代まで、続けられました。昭和38年老朽園舎を改築のため、資金1000万を寄付されたがその新園舎をみることなく、同年5月に病のため他界した。大正12年本会理事就任より40年の長きに亘り名実ともに神戸保育園を支えた人でした。
昭和55年、岡崎藤雄現理事長が就任し、財団法人 神戸保育会を財団法人 神戸保育園に改名しました。平成7年、阪神、淡路大震災が起こり、神戸市長田区の園舎は、半壊となりましたが、3日後から保育を再開。当時の様子は、今の子どもたちにも毎年語り継いでいます。
平成19年、財団法人 神戸保育園を改め、社会福祉法人 神戸保育会とし、20年、神戸市より、神楽保育園(現 認定こども園 神楽こども園)を公募移管され、27年元町キッズルームを開園。平成30年 世田谷区に尾山台みどり保育園を開園。本日に至ります。
設立から長い歴史のある本法人は、一貫して子どもたちの保育をしてきました。乳児保育は、担当制保育、幼児保育は、月ごとにテーマに合わせた課業を学んでいます。この保育をはじめてから、まず、職員がこどもをよく見ようとして、どのように人的環境を含めた環境を整えればいいのかを考えるようになり、子どもがとても落ち着いて毎日をすごせるようになりました。